皆さま こんにちわ。
昨夜は、あの石川遼君のお父様、石川勝美さんの講話を聴いてきました。
史上最年少記録を次々と塗り替えるゴルフ界の革命児、若干18歳にして、
賞金王を獲得する程、ずばぬけた才能のお子さんをどうやって育てたのか。。。
大変興味を抱いて行って来ました。
そんなに講演機会の多い方ではないと思いますが、お話自体は、とつとつと
語られる中にも、ウィットに富んだとても楽しいお話でした。
話を聴くと、"ああ、この父にしてこういう子が育つんだなあ"と感心する事
ばかり。
色んな逸話がありましたが、一言で言えば、"自分を売り込むチャンスを
最大限に生かす"事を大切にするお父さんの教えを忠実に、しかも
その期待以上に実践しているのが、遼君ではないかと思いました。
遼君が、プロデビューする頃、ちょうど勝美さんは、信用金庫の支店長を
されていました。
銀行の支店長さんと言えば、正に"サラリーマンのプロ"。
仕事が忙しく、遼君と一緒にラウンド出来ない週末も、ゴルフコースには、
遼君を連れて行き、そして、見ず知らずの大人達とラウンドさせていた
そうです。
その時のお父さんの教えは、一つ。
"人に迷惑をかけないように。皆に好かれるようなゴルフをしなさい"
支店長であるお父さんは、とにかく自分を売り込む事の大切にしていました。
接待ゴルフも多かったそうです。
"人間関係において、初対面こそ最も大切"
"初対面は最初で最後のチャンス"
"(初対面の)挨拶は、歩きながらではなく、しっかり止まってする"
"ゴルフ場の人たちにもしっかり挨拶しろ。そうすれば、自分の味方が
増える。味方が増えれば、闘い易くなる。18ホール×4日も回れば、
必ず1~2打は違ってくる"
そして、遼君がプロになった時には、
"ゴルフ界の宣伝部長になれ。勝っても、負けてもインタビューには、
丁寧に答えなさい"
"(どうせトップ争いは出来ないのだから)トップ争いをして盛り上げる人
ではなく、15歳プロという立場の宣伝部長の役割を果たしなさい"
ちょっと言葉は違ったかもしれませんが、こんな教えだったようです。
断片的に聞くと、ちょっと策士的な匂い、えっ?そんな下心があったの?
とも思えてしまうような話ですが、ここには、サラリーマンのプロとして
培われた勝美さんの深~い信念があるように思います。
遼君がプロになる前の男子ゴルフ界は、超低迷期でした。
藍ちゃんだ、さくらちゃんだと盛り上がる女子を尻目に、4日間で1万人の
ギャラリーが集まらないツアーもいくつかあったそうです。
確かに、僕もその頃はそんなにゴルフ熱もなかったのですが、カーボーイハットの
片山晋吾ばかりが勝ってたような気がします。。。
それが、遼君がプロになってからの男子プロはどうでしょう?
週末には必ずと言っていい程、1万人突破。
ゴルフ場の入りも良くなり、練習場には、女性や子供が増えました。
ゴルコンなる言葉も生まれ、そしてヨネックスのゴルフ部門はどれだけ
変わったでしょうか?
(ヨネックスってテニスメーカーじゃなかったのか???)
一人の青年によって、これ程世界が変わるとは・・・
遼君は5歳からゴルフを始め、小学校2年にはプロになると宣言し、そこからは
ゴルフ一筋。
今の子供たちが熱中するゲーム等には見向きもせず、コンビニの前にたむろする
事もなく、ゴルフで目立つ事が唯一の楽しみなのだそうです。
こんな偉大な青年を形容する言葉としては、ちょっと安っぽくなりますが、
まさに "選択と集中"
お父さんの"人に迷惑をかけず、好かれるゴルフをしなさい"という教えを、
"世界一人に好かれるゴルファーになりたい"と
昇華させた遼君。
何かうまく言えませんが、世の中に生まれ、世の中で活躍するという事は
こういうことなんだといいう事を考えさせられる本当に良い講話でした。
有難うございました。。。。
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